教えてください(修行編)2013年02月19日 12:48
_ 高野山に観光に行きました。根本大塔付近を自転車を押して歩いていたら「非常識だ。恥知らず!」とお坊さんに怒鳴られたのですが、そこまで悲しい思いをしなきゃいけないことだったのでしょうか?
「腰痛で長く歩けない父が観光するにはどうしたらいいか」と家族で考えて出したのが自転車を歩行補助車的に使用しようという案でした。車椅子を借りることも考えたのですが押して歩ける体力が母にも私にも無いこと。父も足は動くということから自転車にしました。他の拝観料のいる諸堂ではチケット売場の裏とかに自転車を止めて諸堂内歩いていたのですが根本大塔ではチケット売場が見当たらず、とりあえず自転車は乗らずに押して歩いていたのですが、そこでお坊さんに「なに自転車をいれているのです非常識な」と怒られ「あの、これは…」といいかけたら「言い訳は結構、恥知らずな!早く自転車を出して下さい」と大声で怒られました。「すみませんでした」と自転車を押して移動しようと思うと、押していくのかという目でみられ、自転車を3人で道まで持ち上げて運びました…
その後は観光をつづける気分にもなれず、予約していた精進料理も喉を通らず散々な思い出になったのですが、
帰宅して、年老いた両親が本当にあそこまで辛い思いをしなきゃいけないような行動だったのかわからなくなってきました。
根本大塔付近に自転車を押して近づくというのは、やはり相当な非常識な行動だったのでしょうか?
コメント(38件)
[12]
最初から表示 全てを表示 最新の20件を表示
[1]2012年10月13日 18:43
TOYO すみません。管理人です。
こちらに移動してください。
おしえてください総合トピ↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30292170&comm_id=65309
[2]2012年10月13日 18:50
ひろ 非常識なのはそこのお坊さんです。
山に籠りっぱなしで、一般の人間の苦しみなんか知りもしない。
しかも自分たちは信徒からもちあげられ、傲慢になっている。。
情け無いかぎりです。。
自殺が年に三萬人をこえ、いまこそ仏教の力が必要なときに、山でこもって、しんとに威張り散らしている。。
なにをしているのですか。。
あなたたちは。。
と私は僧侶にいいたい。。
[3]2012年10月13日 18:54
TOYO 続けてくださっても構いませんが、それならばトピのタイトルを判り易く変更して下さい。トピ主さんは御自分で変更可能です。
[4]2012年10月16日 06:07
とか爺さま >celaさんへ
それはそれは気の毒な体験をしましたね。同情いたします。
でも、注意したお坊さんの言い方に問題があったのかもしれませんが、場所が場所だけに、お坊さんの言動を支持いたします。m(__)m
根本大塔は、高野山の中でも最も神聖な場所であり、真言密教の根本道場なんです。
まだ、現地を確認しておりませんが、比叡山延暦寺の根本道場の前には、四角のスペースがあり「戒壇」と呼ばれています。お坊さんが行事を行なう神聖な場所なんです。結界を張っていないので観光客は、知らずに足を踏み入れます。高野山の根本大塔の前にも、おそらく戒壇があったのでは?
戒壇の意味を知っている者から見ると、神経を逆撫でするような行為なんです。まして、厳しい修行をなされて一人前の僧侶となったときに受けた儀式や他の重要な儀式をするときに立つ戒壇を自転車で通るとは何事だ!!となるわけです。
celaさんの事情は、関係ないのです。車椅子や手押し車なら目もつぶってくれたでしょう。
いちいち注意していたら身がもちません。戒壇を一般の人が足を踏み入れることも本来は、禁止です。また、根本大塔へ向う道や石段も左側を歩くのがマナーです。中央を歩いていいのは高僧だけです。戒壇は、他のお寺にもありますので御注意。
ついでに、神社の鳥居も左側から左足を先に踏み込んでくださいね。
[5]2012年10月16日 07:27
すー>>[4] とか爺さまさん
横からすみません。
全くトピとは、関係ないのですが、
「神社の鳥居は左側を左足で」
とありますが、
参道も左側を歩くのが良いのでしょうか??
お参り後も、左側を歩き、左足から退出し、
一礼をし、石段を下る。
この一連の動作は、
神社仏閣全てに当てはまる作法でしょうか??
入り方についての礼儀を
覚えておきたいと思いますので、
お手数ですが、ご教授のほど、お願い申し上げます。
[6]2012年10月16日 09:48
み! 状況が良く分からないのですが、自転車を押すほうが大変なような気がしますあせあせ(飛び散る汗)
それはさておき、やはり壇上伽藍を自転車で…というのは非常識だと言われても仕方がないことだと思います。
私がその光景を見かけても、やはり非常識だと思うでしょうね。
車椅子なら良かったのですが…。
ただ、高野山を「観光地」として考えられている方は「どうしてそんな言われ方をしなけりゃいけないの!?」と思われるかもしれませんが、とか爺さま様のおっしゃられているとおり、あの辺りは特に聖地なのです。
観光地としてではなく、信仰心から訪れる方も圧倒的に多く、特にお坊様から見たら、考えられない行動だったのだと思われます。
壇上伽藍、確か根本大塔と金堂の間のスペースは、足を踏み入れてはいけないスペースがあったような気がします。
ご気分を害されてお気の毒だとは存じますが、お坊様を支持しますね。
(実際に、一方のお話ししか聞いていないので、お坊様がどのような物言いであったのかは別として)
[7]2012年10月16日 09:48
とか爺さま
>すーさんへ
神社の参道を左側を歩く理由は、真中は、神様がお通りになるからです。
鳥居をくぐるまえに一礼をします。そして左側を左足から入ります。
理由は、境内に入る時に、お尻を最初に神様に向けるのは失礼だからです。
参拝後も同じ動作です。鳥居をくぐったら境内に向って感謝を込めて一礼します。
神社参拝は「二礼二拍手一礼」。手水舎(てみずや・ちょうずや)の作法も大切です。
そして、何よりも神社仏閣全てにおいて境内に入るときは、こうして自分の足で参拝させていただける健康さに感謝するピュアなお気持ちが大切かと思います。神社仏閣の境内が、清掃が行き届いている理由や四季折々の草花が参拝者を気持ち良く向かえてくれるのは、そのピュアな気持ちを持たせるお手伝いなんです。
狛犬や仁王様は、参拝者の邪心を追い払うために睨みつけています。
お寺の場合は、鳥居がございませんので表門・総門・仁王門などを一礼してから左側を左足から入ります。
また、東大寺や善峯寺のように古い歴史のあるお寺の参道の中央に、巨大な燈籠(写真左)が立っています。
その灯籠も左側から回ります。右から回ると功徳がないと言われています。
それから宇治市にある萬福寺など、一部の参道で真中を四角い石を菱形に連ねて敷き詰めていますよね。(写真中央)端っこは、真っ直ぐな長方形の石を敷き詰めています。中央は、高僧が歩き、端っこは修行僧が歩きます。一般の俺たちも端っこを歩きます。
京都の三条白川下がるのところに、橋が数本架かっています。その中で幅の狭い橋がございます。一本橋と呼んでいますが、比叡山の高僧の阿闍梨さんだけが渡って良い橋です。修行僧は、渡れません。一般の人々は、例外で自由に渡っていますが本来は、渡ってはいけないのかもしれません。(写真右)
お寺の書院の畳の上を歩くときは、畳縁(たたみべり)を踏まない。壁や柱にもたれない。触らない。
廊下などで庭園を鑑賞するときは、庭園に足を投げ出して後ろ手を付くようなだらしない格好で鑑賞をしない。庭園は、禅宗の教えを具現化したり総本山の風景を枯山水で表現したりしているからです。見た目も見苦しいでしょう。正座もしくはあぐらをかいて静かに鑑賞してください。
参拝方法や境内でのマナーを覚えていると心身共に引き締まります。対外的にも好印象でしょう。
えらそうにタイピングをしましたが、すべて俺が神社仏閣の関係者から注意を受けた事柄です。
m(__)m
[8]2012年10月16日 11:02
若御院 うーん・・・私は僧侶ですが、事情があってもいきなり怒鳴りつけたりショッキングな物言いをするのはちょっとどうかとは思いますが。
注意するにしても最初はやんわりと言い方も注意するとか、もうちょっと僧侶側にも大人の対応が必要であるかと思います。一人のイメージが全体のイメージとなることを忘れてはいけません。
相手に非があればいきなり怒っていいということはないはずです。
そんなことしてたら在家さん相手に「和語」とか言っても聞いてくれなくなります。
[9]2012年10月16日 22:54
ひろ 年老いたご両親のために、自転車を用意したトビ主様を不敬だと大日如来様はおしかりになるでしょうか。。
結果的にはゴータマシッダールタ様が死につながる食事の供養をしたチェンダにさえ、ゴータマシッダールタ様はお許しされるどころか、その真心に感謝し、チェンダがゴータマシッダールタ様を死に追いやった罪に苦しまない様に心をくだいていらっしゃったといいますね。。
もし大日如来様、お釈迦様がこの僧侶の信者をどなりつける姿をみたときに、なんとすばらしい仏弟子が育っているなとかんじるでしょうか。。
それがこたえです。。
対機説法し、人それぞれの立場や痛みにたって法を説いたお釈迦様の精神は微塵もみあたりません!
[10]2012年10月16日 23:59
風天 せっかくの孝行旅行が残念な思い出になってしまって
お気の毒なことでしたね。心中お察しいたします。
でも、このまま嫌な思い出のまま終わらせずに、
もう一度高野山旅行をしてみませんか?
体調が悪かったり体がご不自由な方が拝観される場合は、
ご自分で解決しようとせずに、観光協会等に相談してください。
宗教的な場所にはタブーというものが必ずあります。
まずは現地の人にたずねてみましょう。
観光協会はもちろんのこと、金剛峰寺や伽藍などでも、
車いすを貸してくれます。自分で押せない場合や困ったときは、
近くにいる職員さんに声をかけてみましょう。
高野山にもきっとやさしいお坊さんがいると思いますよ。
それでも嫌なことを言われてしまったら、もうその時は
高野山はその程度のところなんだと思って諦めましょう。
[11]2012年10月17日 01:39
とか爺さま 車椅子や手押し補助車が必要な参拝者は、高野山なら緊急道路を特別に使用させてもらえると思う。根本大塔近くまで行けると思う。自家用車でもタクシーでも事前に高野山事務所に連絡して許可を得たら良いと思うよ。ほかの有名な神社仏閣も事前に問い合わせると本殿や本堂近くまで自家用車を乗り入れられます。
[12]2012年10月18日 22:55
すー>>[7] とか爺さま様
お返事ありがとうございます。
疑問に感じていた事柄でしたので
丁寧にご教授いただけ、理解出来、
これからは、より厳粛な気持ちで参拝させていただけます。
感謝しております。
結界場所の合図と共に歩く場所、座り方など
心に留めて、失礼のないよう出来る人になりたいです。
スレ違い失礼しました。
[13]2012年10月18日 23:21
せいちゃん 僕も親と叔母とかと明日から高野山にお参りと観光をかねて行く予定なんですが、歩くトコ間違えると怒られるんですね。気をつけてないとダメだな!思いました。そこで、ここだけは注意しないといけない事を教えて下さい。
[14]2012年10月19日 10:48
ひろ せいちゃんさんへ
私は奥の院、根本大塔など申請な場所であり、祈りの場所で、談笑されていらっしゃる方が普通にいらっしゃいます。。
あれはほんとうにやめてほしいです。。
死とはとても神聖なもので、その神聖なる奥の院でなにを談笑する必要があるのでしょうか。。
死したるかたがたへの神聖なる回向の妨げです。
[15]2012年10月19日 13:23
み! せいちゃん様
別に高野山が特別厳しい場所ではないと思います。
気をつけなくてはいけないこと…、、普通の常識を持ち合わせていれば大丈夫だと思います。
一部特殊な場所もございます。
奥の院の御廟の橋より奥は厳粛にお過ごしください。
聖域ですので。カメラもだめです。ペットもダメです。
帽子も取ってくださいね。
その他、奥の院では普通にお話しても大丈夫ですよ。
うちはルーツが高野山ですので、先祖代々の墓が奥の院にございます。
なので、親族で墓参りする折には、もちろんお話ししますし、故人の思い出話に花を咲かせ、笑ったりもします。
奥の院で顔見知りの金剛峰寺の職員の方に会ったりもしますが、お互い普通に近況をお話ししたりしますよ。
逆に高野山に縁のない方のほうが、もっと厳粛に考えておられるのかもしれませんね。
そろそろ紅葉の時期です。
私も11月には墓参りの予定です。
良い旅になりますように。。
[16]2012年10月20日 01:51
まーも 皆さんがおっしゃるように、霊峰高野山は修行道場として開かれ、全国から高校や大学に来られる方も多いし、海外からの留学生も少なくありません。
伽藍の中が神聖なところで、大師教会本部、金剛峯寺などのお参りの際も色々しきたりがあるのも事実です。
しかし、トピ主さんの文脈からしてこの場合は僧侶の注意の仕方が悪いと思いますね。
何も知らない人にとっては、いきなりそんなこと言われても…って感じじゃないですか。
高野山に住んでましたけど、伽藍の中を自転車で走ったことありますし、祖母が奥の院で働いてたこともあり、絶好の遊び場だったし、そこのお坊さんたちにも可愛がってもらいました。
そして何より私が言いたいのは、高野山に住まわれているお坊さんたちは、宗教法人で税金面では優遇され、一般家庭よりも多額の収入があり、全国の檀家から地方の特産品を送ってもらい、大変裕福な生活をされてる方が多いということです。
高野山からは和歌山市に行くよりも難波に出る方が便利なので、ミナミでクラブ遊びしたり、海外旅行やゴルフに行ったりしていることも知っています。
実際、お坊さんと一緒に飲みに行ったこともあります。
そんなお金があるなら、震災復興が優先じゃないかと思ったりもしますが。
皆さんの話に水を差すようで申し訳ありませんが、高野山の一部の僧侶は尊敬に値しないと思っています。確かに、真摯に修行に励んでおられる方もいるでしょう。
でも、高野山に住んでいない人は、高野山を美化しすぎていると思います。
もちろん信心深いということとはちょっとニュアンスが違うとは思います。
おごそかな場所であることは承知してます。
でも、あまりにもすごい内容のレスが多くてビックリしました。
僧侶の注意の仕方がまずいということを言いたかっただけなのですが、余分なことまで書いてしまいましたね。
お参りに来る皆さんと、高野山に住んでいる者との違いもわかってほしいと思います。
長文・駄文失礼しました。
[17]2012年10月20日 03:52
風天 本当のことを正直に言ってくださる方が出てきましたね(笑)
どこの坊主も似たり寄ったり。腐り果てていますから、
私は高野山の僧侶にもあまり期待はしていません。
しかし、たとえ尊敬に値しない僧侶がいようとも、
高野山の歴史的価値、文化的価値は世界に誇るべきものです。
たくさんの人にしっかりと見てもらいたいです。
質問者のご本人が何も反応を示してらっしゃらないので
これ以上いろいろ言っても無駄かもしれませんが、
腐った坊主の暴言にめげずに、現地のまともな人をうまく利用して、
もう一度良い旅をしてほしいですね。
[19]2012年10月20日 11:04
若御院 なんだかただの坊さん叩きスレになってきましたねがく~(落胆した顔)
まぁ今回のような僧侶が居るのでは仕方ない部分もありますが・・・。
私も在家からこの道に入り色んな僧侶を見てきましたが、一部列挙されているような典型的なクソ坊主と言われるような人は、当時はほとんどみかけませんでした。(少数だからいいとは思ってませんが)
そういう全体のイメージを損ねる連中は遅かれ早かれ淘汰されていくことでしょう。
自坊に帰ってもそんな態度でやっていけるほど今の世間は甘くはありません。
ただ批判するにしてももう少し言葉を選べないものかと思いますね。
そういう人がなぜわざわざ高野山トピにいるのかわかりません。
せいちゃんさまの御質問ですが、誤解を与えないため繰り返すようですが、普通に観光・散策されていていきなり叱られるなんていうことはありません。
極端な話、堂内に土足で立ち入るとかしない限り大丈夫です。
注意が必要な場所などではあらかじめ注意書きがありますが「撮影禁止」とかそんなもんです。
どうかお気楽に観光なさって下さい。
[20]2012年10月20日 15:27
白木蓮/はくもくれん 坊主も悪いけどスレ主も配慮不足。
個人的な事情は、他人には分かりませんからね。
だからといって、怒る坊主も悪い。
一方的に被害者意識を煽るような質問文ですよね。
確かに足が悪いのは辛いし不自由だと思います。
だからといって、全てが理解され、優しくされ、許されるわけでは、ありませんよね。
あと、怒り散らかした坊主が高野山の坊主とは限らない。
無闇に高野山の坊主を叩くのも間違い。
要は、皆が相手の立場気持ちになれるように頑張って行けば良い。
今回の件で悲しむのでなく、学べたと喜べるようになれると人間、成長しますよね。
生意気書きましたが私も全然出来ない人間です。
[21]2012年10月20日 15:48
TOYO んん、僕は足が不自由なんですが駐車場やトイレなどに身障者マークが有ると、恥ずかしくて入れませんでした。しかしソレだとかえって他の人達に迷惑がかかるので車にも見え易くシールを貼って自分が身障者で有る事を宣言してます。医師の診断書が要りますが、そうでなくても何か不自由が有れば事前に当事者に知らせてから行動すべきです。
結果そのほうが何事も上手く行く・・・・・・ただ仲間のひとりに「これで駐車違反キップもきられないんだ」と身障者手帳を見せびらかして周囲に自慢してたヤツが居たので「それはアベコベだ」と怒った事は有ります。
[22]2012年10月20日 18:16
まーも ん~、きっかけを作ったみたいで、申し訳ないです。
世の中、いろんな人がいることは皆さんご存じの通りだと思います。
一部の心ない人のせいで、悪い印象を持つことになったのは残念ですが、高野山には親切な人もたくさんいます。
ぜひお参りに来てくださいませ。
うちの母は障害を持っていますが、車イスでいろんなところに出かけます。
行く先々で親切にしてもらったり、邪魔者扱いされたり、人の反応は様々です。
要は、自分の心の持ちようだと思います。
故意にしたことでなく、きちんと考えた末の行動は、お大師さまはちゃんと見てくださっています。
作法も大切です。
しかし、葬式仏教と言われる昨今、庶民のために広めてくださった仏の教えを、日々実践したいものです。
心のなかで手を合わせ、いつも南無大師遍照金剛です。
[23]2012年10月20日 18:30
せいちゃん いろんな方からアドバイスありがとうございました。一泊二日で高野山にお参りに行って来ました。奥の院と宿坊で先祖の供養をできました。少しは先祖様も供養して喜んでくれてる?勝手に思ってます。
ありがとうございました。
[24]2012年10月21日 06:20
とか爺さま 宗教というものは、人が人として正しく生きる方法を教えているのだと勝手に解釈しております。
僧侶さまも人間。修行の途中にございます。蒸し返すようで心苦しいのですが.........。
未熟者の一部の僧侶さんの愚行を取り上げるのもいかがなもんかと思いますね。
高野山参りは、まださせていただいていませんが、西国三十三箇所巡りで満願達成が来年の1月となる予定です。
無事に満願となれば、高野山にご報告をさせていただきたいと考えています。
憧れの高野山参りの心得として、現時点では、このコミュを活用させていただいたり参拝経験者の話を聞いたり高野山の公式ホームページや本などから学んで居ります。
坐主(総本山金剛峯寺第412世座主・高野山真言宗管長 松長有慶)さまのコメントを読まさせていただいただけでも心が洗われます。
高野山に初めてお参りをなさる方は、せめて高野山の公式ホームページを読んだほうがいいと思います。
わくわくどきどきで宿坊に泊まって2~3日くらい自分を見つめ直そうかと考えています。
高野山に限らず神社仏閣の参拝は、現地で所々に注意事項がかいた紙が張っておられます。
せいぜい土足禁止や撮影禁止程度です。立ち入り禁止と書いている場所を通らないことくらいですね。
神社仏閣は、参拝者に優しいありがたい空間ですね。
いろんなお寺をお参りさせていただいていますが、僧侶さんが大声で叱咤している場面を見たことがございません。
[25]2012年10月21日 07:42
ぬぅぴぃ スレ主はなぜ質問だけして、その後、完全放置なんですかね?
最初のほうで、管理人さんがトピ移動のお願いをしても無視してるし、仕方なく妥協案でタイトル変更の依頼されても、それすら完全無視だし。
質問文は、いかにも一方的な被害者のような書き方で、“お坊さんから嫌な思いをさせられた、可哀想な親思いの優しい娘”演出ですが、言いたいことだけ言って放置プレーしてるところから、“本当は自分勝手なだけなんじゃないの?”と感じてしまう。
高野山での出来事も、ここには書いていない、何か他にお坊さんを激怒させるようなことをしたんだと思う。
激怒したお坊さんが、まーもさんが言うような生臭さ坊主の一人なら、尚更、スレ主のような無知でお金落としてくれる金蔓観光客は大歓迎で、こんな厳しい物言いはしないと思います!
スレ主が自分のしたことを棚に上げて愚痴りたかっただけなのに、お坊さんが悪者になってるのが可哀想です。
[26]2012年10月21日 08:34
確かにスレ主のコメントがないのは不自然…
まあ、非常識な観光客に、糞坊主…
どっちもどっちって感じですかね(目糞鼻糞)
高野山の寺院は相当な数ですし、余所者の坊主も来る事もあるんで、教師や警察のように権力だけ誇示するような、威張り散らすのが趣味みたいな勘違い糞坊主もそりゃ中には居るでしょうね
残念かな…
高●山大学の学生も、程度の低いアホな輩が多いです(偏差値低いですしね)
あそこから僧侶になる輩も居ますからね
龍●大学にも偉そうな物言いで、無能な糞坊主教授が居ましたし、ちょっと最近の仏教の在り方は、考えさせられるものがありますね
偉そう=偉い、と勘違いされてる糞坊主殿の、多い事、多い事…
そもそも、誰でも簡単に僧侶になれる、今の時代は異常です
昔は農民は一生農民…、僧侶は限られた者しかなれず、もっと高尚なものでありました
人間はアホが多いですが、人間が建てたもの(寺院やお墓)、そして聖地高野山は素晴らしい所ですし、これ以上、妙なクズ人間によって高野山を穢されたくないものですね
女人禁制だった頃の昔の高野山はもっと霊山たる、素晴らしい聖域だったのだろうなと思います
[27]2012年10月21日 09:59
若御院 以前真言宗系列のコミュに自称僧侶の学会員による巧みな荒らしもありましたしね。
気をつけたいものです。
[29]2012年10月27日 16:11
ジュンペー こんにちは。
トピずれ・・・というかコミュずれかもしれませんがあせあせ(飛び散る汗)
先日最近通いだした真言系のお寺さんへ行きました。
ご住職が外で薪割りをされていたので、
まだあまりお話させていただいた事はなかった(ちょっと強面な方なので(^_^;))のですが、
おずおずと「あのお。お参りさせていただきたのですが・・・」とお願いしてみたところ、
快く「ああ、いいよ。どうぞ。」と仰ってくれました。
本堂にて、一人、大日如来様と聖観音様にじっくりとお参りさせていただきました。
帰る際、ご住職に「心がすっきりしました。ありがとうございました。」と申し上げたら、
「それはよかった。またいつでもいらっしゃい。」
と私を見送ってくださいました。
その「またいつでもいらっしゃい」という言葉が、私の心をぽっと暖かくしてくれました。
お寺の本堂に入るのは、敷居が高いような感じがしていましたが、
ご住職の存在がお寺を身近なものにしてくれているような気がします。
いつか高野山へお詣りに行くことが出来たら、
寺院ももちろんですが、どんなお坊さんにお会いできるのか楽しみです。
[30]2013年02月19日 04:09
風花 教えてください。
高野山のある宿坊寺院が見習い僧侶を募集しているのを見かけました。
自分はもう39歳になりますが、高野山で僧侶になりたいと考えています。私の家系は仏門とは無関係です。
ところで高野山で僧侶になるには、高野山大学に通うとか、専修学院で学ぶという方法もあると聞きました。
それと比べて、宿坊の見習い僧侶から始めるというのは、どちらがいいのか?
そもそも、この歳から、大学・専修学院・宿坊とも受け入れていただけるのか?
少しでも情報を与えていただけましたら有り難いです。
よろしくお願いいたします。
[31]2013年03月03日 17:39
しらいゆうき>>[30] 風花さん
>高野山で僧侶になるには、高野山大学に通うとか、専修学院で学ぶという方法もあると聞きました。
>それと比べて、宿坊の見習い僧侶から始めるというのは、どちらがいいのか?
>そもそも、この歳から、大学・専修学院・宿坊とも受け入れていただけるのか?
誰も説明してくれないみたいですね(*^_^*)
私は34歳で高野山に登り、高野山専修学院卒です。
高野山専修学院の一年間を挟んで3年ほど高野山の宿坊にも居りました。
その経験と知っていることをお話します。
「高野山大学」
受験勉強が必要になりますし、学費も必要になります。
ただ、大学自体は定員割れしているような状況なので、希望すれば入れる確率は高いです。
ただ4年間通うので、あなたの年齢からはメリットは少ないかもしれません。
「高野山専修学院」
一年制の僧侶養成施設です。費用も必要ですね。
私の頃は、保証人が高野山真言宗の寺院と高野山の山内寺院の二つ要りましたので、一般の人がいきなり入るのは無理です。
まあ、そういうことを考えると僧侶になるにはお話の「見習い」からはじめて、そのお寺の紹介で専門道場(高野山専修学院もその一つです)へ通って僧侶資格を得るというのが適当だと思います。
けれども、「僧侶見習い」は大変ですよ(*^_^*)
「僧侶見習い」と言いながら実態は宿坊の宿泊者の世話、つまり膳出しとか布団しきとか部屋の掃除などでしょう。
「見習い」と名前が付いているので薄給でしょう。
せいぜい5万~10万/月ぐらいではないですか?
それで、休日はほとんどなし、朝6時~夜9時くらいまで働きます。
嫌なことも少なくないと思います。
私がいた頃も、僧侶希望者が何人も来ましたが、多くは嫌になってやめました。
ただ、最初に僧侶になりたい希望を伝え、1年ぐらい我慢していたら、お寺側で僧侶になる道はつけてくれると思います。
ところで、何故、高野山で僧侶になりたいのですか?
高野山大学・高野山専修学院卒は真言宗僧侶としては、一番評価されるキャリアですが、実家がお寺でない場合には、将来住職になれる確率はせいぜい2割~3割ぐらいでしかなく多くの卒業生は僧侶資格を持ちながら別の道へ進んでいます。
僧侶の世界はコネ社会なのでバックが無いと大変なんです。
もうひとつ気になるのは年齢です。
高野山専修学院は年齢制限が45歳ですが、他の専門道場でも修行者は20歳そこそこで39歳だと付いて行くのが大変です。
年齢からしても行は大変ですし、苦労する割には実際に目に見えるようなメリットは考えられません(*^_^*)
一方で、「弘法大師が好き」「真言宗・密教にに興味がある」というような理由で僧侶を目指されるならば歓迎です。
いかがでしょうか?
[32]2013年03月03日 17:56
風花>>[31] しらいゆうきさん
適格で現実に即したご回答をいただき、誠にありがとうございました。
私が僧侶になりたいと思ったのは、「弘法大師が好き」「真言宗・密教にに興味がある」というのは勿論のことです。
それと高野山のような地に住みたいと考えたからです。
電話で宿望寺院に問い合わせた際にも、先方から、
「みんながみんな僧侶になれる訳ではない、体力がいる仕事」と承りました。
「コネ社会なのでバックが無いと大変」というのも、何となく分かります。
僧侶の世界も一般社会も所詮は人間社会、似たり寄ったりですね。
せっかく的確なご意見をいただきながら、暗い気分に陥ってしまいました。
この歳になると、もうどこでもつぶしがきかないってことですね。
[33]2013年03月03日 19:17
しらいゆうき>>[32] 風花さん
>「コネ社会なのでバックが無いと大変」というのも、何となく分かります。
>僧侶の世界も一般社会も所詮は人間社会、似たり寄ったりですね。
似ていると言えば、似ていますが、当たり前ですが似ていないところもあります(*^_^*)
コネや権力を振りかざす残念な人間も多いですが、それ以上にそういうことは関係なしに力を貸してくれる人も多いです。
ちなみに、私はコネなど無かったんですが、そのおかげでなんとかなりました(*^^)v
>この歳になると、もうどこでもつぶしがきかないってことですね。
他に行くところがおありなら難しいかもしれません。
私の場合は選択肢は無かったので、そこでなんとかするしか無かったです。
門を叩かれるか止められるか、どちらもお勧めはしません。
ただ、入られるなら3年間はどんなことがあっても頑張るぐらいの覚悟が必要です。
もうひとつ、年齢的には挑戦する最後の機会ですね。
「片手間で僧侶資格を取ってみる」
ぐらいならもっと年齢が進んでも可能でしょう。
しかし、本格的に僧侶を目指されるとしたら、体力的にも頭脳的にも(勉強することも多いです)限界に近いと思います。
考えて見ても答えは出ないでしょう。
高野山の奥の院でじっくりと読経しながら、お大師さんと相談されてはいかがでしょうか?
[34]2013年03月03日 19:54
風花>>[033] しらいゆうきさん
他に行くところがおありなら難しいかもしれません。
私の場合は選択肢は無かったので、そこでなんとかするしか無かったです。
それは、まったく同じです。私にはもうどこにも居場所がないんです。
[35]2013年03月04日 00:59
灯り滝>>[034] 風花さん 高野山での修行道場は、大学(別科等)・専修学院の他、真別処(円通律寺)という選択肢も、有りますよ。
いずれも、師僧を見付けて、得度する必要は有りますが。
[36]2013年03月04日 07:40
風花>>[035] 灯り滝さん
コメントいただき、ありがとうございます。
真別処(円通律寺)についてはよく知らないのですが、修行の年月が他より短いのでしょうか?より詳しく教えていただけたら助かります。
それと「師僧を見つけて得度する」ことはよく聞くのですが、どのような手蔓でご縁を見つけるのでしょうか?
[37]2013年03月04日 09:00
しらいゆうき>>[36] 風花さん
横レスですが、真別処(円通律寺)の加行(僧侶になるための修行)は最低が約3か月ぐらいです。
どこの修行道場でも古義真言宗ならば同じくらいです。
専修学院の場合にはそれに加えて、僧侶になるための基礎知識の勉強があるので、一年になっています。
「師僧を見つけて得度する」は現実には難しいですね(*^_^*)
知り合いの高野山真言宗住職がいたら頼めるのですが、そうでなかったら無理です(*^_^*)
ですから、「見習い僧侶」から始めたら、そこのお寺で縁ができて、そこでお願いできます。
[38]2013年03月05日 22:41
風花>>[037] しらいゆうきさん
だいぶ事情が分かりました。今の自分にはまだまだ迷いがあります。
今月中、余裕があったら高野を訪れて、考えようと思います。
ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿