2012年8月24日金曜日

阿字観(アジカン)瞑想の体験記感想

翌日、5時頃、目が覚めた。
ひげをそり、顔を洗い、服を着替え、6時になる10分前に本堂へと向かった。

昨日書いた写経を、本堂入り口で、お坊さんにお渡しし、本堂に入った。

本堂では厳かな雰囲気の中、お経が唱えられ、参列者は順に習って、焼香を炊いた。

その後、般若心経を唱えた。
かつて、高校生のころ、座禅をしに鎌倉に通ったことがあったが、そのときも、座禅の後に般若心経を唱えた。

低音が響く、音のバイブレーション。
私はこれが意外と好きだった。

仏像をみても、特にありがたいは思わない。
神とか仏とか、普段、あまり考えていない。

しかし、お経は、嫌いではなかった。

経が終わると、本堂を一周し、様々な仏像の顔を見た。

この行為には、それほどの興味を覚えない。
仏像は、私は、本当にどうでもいい。

ブータンでも、こうした、仏像をまじまじと見るということをしていた。
なにがそんなに面白いのだろう。

やがて部屋に戻ると、すぐに朝食が運ばれた。
食事の後は、阿字観瞑想のため、広い部屋に案内された。

意外と忙しい。

部屋に入ると、サンスクリットの文字が書かれた掛け軸があり、その横にお坊さんがいた。

座布団の上に座り、まずは、説明を受ける。
この説明が長い。

40分ぐらいの説明だった。

阿という文字の意味、姿勢、呼吸の仕方、手の形(印)とその意味など、丁寧なレクチャーとは裏腹に途中、なんどかうとうとしてしまった。


瞑想時間は実際は20分ぐらいだった。
しかし、この20分も決して、短いとは思わなかった。
むしろ20分が限界であった。

ここの阿字観は、阿息観察法と言われ、あー、という声を出して、「あ」の響きを体験するというものだった。

準備瞑想という、内側のもやもやしたものをはく息とともに外に出し、きれいな空気を内にいれるというのは、ほかでもよくきく瞑想法だった。

その後、声を出す瞑想がはじまった。

あー、と声を出す。
お坊さんの出す声の高さに合わせたくなる。
しかし、あえてここでは合わせるのをやめた。

よくできましたと、思われるための修行ではない。
自分の為の修行。他人に合わせてどうするのか。

自分が出しやすい声で、唱えよう。
お坊さんもそれを勧めていたではないか。

やがて、出しやすい声の音域が定まってきた。

他の参加者の声が気になる。
一人、やたらと長い息の人がいる。

地の底に響く「阿」が自分の体を通って、口から出ることをイメージする、と言う。

そして、もともと あ という音は、宇宙に鳴り響いているという。

なんだか、よくわからない。
想像をするが、それであっているかがわからない。

雲をもつかむような話だ。

そもそも、イメージするというのが、よくわからない。
なんとなく、やれているように、やれているふりみたいな感じになってきて、居心地が悪かった。

苦しい。
心穏やかになんて、できない。

あれやこれやの雑念に包まれているうちに、20分がたった。

しかし、お坊さんが言った最後の言葉に救われた。

「さて、みなさま、どうだったでしょうか。
だいたいの人が、これでいいのかなという雑念にさいなまれ
もう限界だ、と思うところまで来る、というのが、平均です。」




一乗院の宿坊体験の感想

1日目の宿坊は高野山金剛峰寺の近くにある一乗院という寺だった。
高野山と検索すると、比較的上位に表示されるこの宿坊は、さらにネットで検索すると料理の評判が良いらしく、そのレシピが本にもなっていた。
その本は、アマゾンのレビューもよいようであった。

しかし、高かった。
最低プランでも14000円と言われた。それは、訳ありコースと書かれており、部屋を選べないというもの。

もともと、部屋を選ぶつもりはなかったが、ページに書かれていた9000円という金額は閑散期金額であり、繁忙期の今は、14000円なのだとのこと。

表示された金額と違う金額を聞いて、それもこちらから質問して初めて分かったことなので不信感を感じ、二の足を踏んでしまった。

検討してからかけなおすと言い、一旦電話を切ったが、結局2時間後には電話をしていた。その間何を考えていたのか、決断した理由はなんだったのか、よくは覚えていない。

ともあれ、一乗院に着いた。

玄関で、風呂の場所、受け付けの場所を説明され、部屋まで案内された。
境内は広く、私の部屋は一番奥の角部屋だった。

それが良いのか悪いのかは分からなかったが、静かだったので、助かった。
部屋に通されると、一日のスケジュールについて、丁寧な説明を受けた。

夕方5:30には食事となり、門限は9時であること、
明日の朝6時に本堂で、勤行があること、その後8時から阿字観という瞑想が受けられるとのことだった。

阿字観、写経は、それぞれ別途1000円かかった。
また、後に繁忙期料金として1000円がさらにかかり、合計として17000円が一泊の料金だった。

繁忙期料金というのが納得できなかったが、たかだか1000円をごねるのもと思い、支払ってしまった。何かに負けた気分だった。

部屋に荷物を置いて、少し辺りを散策した。

近くには、観光協会、郵便局、めしや、菓子屋などがあり、どうやらそこが高野山という町の中心であることは、すぐにわかった。

金剛峰寺まで、足をのばした。意外と人気がなく、閑散としている。少々、がっかりした。この程度なのか、高野山は、と。

みやげやに戻り、パワーストーンなどが数珠として、かなりの高額で売られていた。売り方に興味を持ち、しばらく眺めたが、食事が早かったことを思い出し、宿に戻った。

風呂に入り、部屋で休んでいるとすぐに食事が運ばれてきた。
それは、見た目も美しく、味もかなりおいしい、本気の料理だった。

これなら本になるのもうなずける。

だしの取り方、もりつけ、火加減、どれをとっても、神経を使っていることが、味として伝わってきた。

また、精進料理であるため、いわゆる肉と魚を使わない。
それなのに、物足りないと感じることがない。

不思議になることがある。
なぜ、大きな寺や神社などがある町の料理はうまいのだろう。

伊勢神宮の参道に、おかげ横町と呼ばれる古い趣をもった町があるが、そこの料理もおいしかった。

そこには、金儲けを目的としてはたどり着けない、何かが感じられた。

修行の一環なのだろうと、思った。
料理。

ただ、作るのではなく、そこに何か、思いや生き方のようなものを、かけている。
そんな味だった。

料理を頂いた後は、適当な時間にお坊さんがやってきて、料理を片付け、布団を敷いてくれた。

いたれるつくせりである。

私は満たされた気持ちで、写経を始めた。
用意された紙には、下に薄く文字が書いてあり、それをなぞると、般若心経が完成する。
最後に、住所と名前を書く欄があり、願い事を書く欄がある。

願い事を書いた後は、少しネットをした。
一乗院は、全室にLANが整備されていた。
モジュラージャックがあり、ケーブルをもってくれば、ネットにつなげられる。

ケーブルをもってきていなかったので、ケーブルを借りたが、いざつなげようというときに、MacBookAirには、有線LANをつなぐケーブルがついていないことに気がついた。

USBを使ったアダプタが必要なのである。

結局、私は新幹線で繋げていたと同じ要領でネットにつなげ、FaceBookに旅の実況中継などをした。

また、オズクリスタルのお客様から問い合わせがあったので、その対応もした。

そして疲れていたので、22時前には寝てしまった。






高野山への行き方(アクセス)

高野山にいこうと、半ば思いつきで、旅に出た。
動機としては、
瀬戸内寂聴さんが、高野山出身の尼僧であるということ。
最近、海外からの訪問者が多く、評価が高いとニュースでみたこと。
その週の日曜日に、インドのとある予言書を読むことになっており、身を清めておきたかったこと。

予約をしたのが、日曜日頃。
月曜日からの宿泊を考えたが、泊まりたかった宿は、既に満員。

木曜日からなら、かろうじて、一室空いているとのことだったので、木曜日から二泊することにし、それまでは鎌倉の、なじみの宿坊で過ごした。

出発日、実は、その日は水曜日だった。
鎌倉での用事をすべて終えてしまった私は、時間を無駄にしたくないと思い、別の宿坊を予約して、とにかく出発してしまおうと考えた。

そして、一日づつ延泊という形で泊まっていた鎌倉の宿が、いよいよその日は、部屋があいていないということもあり、半ば追い出されるような形で鎌倉を後にすることにしたのである。

鎌倉を出発したのは、およそ9時ぐらいだったろうと記憶している。
その後の沖縄行きの荷物がまるごと入った重いスーツケースをひきずり、品川で降りて、新幹線に乗った。

東京駅で乗り換えた方が、良い席がとれるかと思ったが、東京駅の横須賀線のホームは、地下深くにあり、地上の新幹線のホームにいくのは、かなりの労力がかかる。

重い連れ子を抱えていた私としては、品川駅の横須賀線のホームと新幹線のホームが、東京のそれより近いことに期待した。

この読みはあたり、品川駅のホームからエスカレーターをのぼり、それから程なく歩いたところに、新幹線の改札はあった。

今後、鎌倉から新幹線に乗るときは、品川経由にしようと、このとき決心したことは言うまでもない。

10:17の新幹線に乗ったと記憶している。本当は10:07に乗る予定を、路線検索をみてたてていたが、それはあと4分で、新幹線の入り口にいかなければならないことを意味していた。

手慣れた新幹線のチケット販売員の勧める通り、私は10:17発のチケットを買い、すきやき弁当とお茶を買って、博多行きの新幹線、グリーン車に乗った。

私は大抵、新幹線はグリーン車に乗る。
ひとつは、グリーン車は電源がついており、心置きなくパソコンが使える。
また、座席前の机が、椅子の付け根から生えており、パソコンを使ったときの振動が前の人に伝わりにくい。
最後に、荷物が多いとき、隣においておいても、席が空いている限りは、多めにみてもらえる。

もちろん、その分、高くはなるわけだが、新大阪までの3時間前後の時間、それだけの快適さと、その間にも大抵、私は仕事をするので、払った金額分は十分に、現実的な支払い報酬金額としてペイしてしまうのである。

これは、私がネットを中心として仕事をしていることと、関係しているが、おそらく同様な仕事をしている者は、同じ選択をしているはずである。

よほど疲れていて、寝るだけというのであれば、グリーン車をとることもないが。

また、私は日陰の席をとる。
やはり景色はみたい。

さて、そうこうしているうちに、新幹線は出発した。
新横浜で泊まった後ののぞみは、あっという間に時速300キロまで加速し、窓の外の風景は飛ぶように過ぎていく。

そのスピード感に快感を感じつつ、私はMacBookAirを広げ、docomoのデータ通信端末を使って、検索広告に使うキーワード収集をしたり、高野山や、高野山の後に行く予定の石垣島、西表島、与那国島などの情報収集をした。

また、メールの返答や、私が地元で行っている講座のホームページ修正などをした。
そんなことをしていれば、3時間などあっという間である。

途中、私の席の前の中年男性の整髪剤の匂いが気になった。
席をめいいっぱい倒すものだから、前屈みになってパソコン作業をする私と距離がやけに近い。

私は、中年男性が共通して使う、整髪剤の匂いが嫌いだ。
バーコードのような、無い髪を無理矢理しいて、あの整髪剤でまとめるのだろうが、なぜ、あんなに嫌な感じがするのだろう。

たいてい、あの匂いをさせる男というものは、高圧的で管理職なイメージがある。大抵、不機嫌で、相手をバカにしたような顔をしている。

満員電車で、そのような男が、こずいてきたりなどすると殺意すら覚える。
それぐらい、私はあの整髪剤の匂いが嫌いである。

さて、バーコードの整髪剤中年男は京都でおり、私は新大阪で降りた。13時前後である。

ここから御堂筋線で、なんばまで行き、なんばから南海鉄道で、高野山へ行く。途中、極楽橋という駅で降りて、ケーブルカーに乗るらしい。

しかし、切符は高野山までになっていた。混乱したが、どうやらケーブルカーも南海鉄道の一部らしい。

特急列車のチケットを買った。なんばから、高野山まで、乗車券特急券込みで1990円。

普通電車でもよかったが、5時までには到着するようにと宿坊に言われていた私は、多少の贅沢を自分に許した。

これが後に、良い選択だったと知った。

急行も、高野山近くまでいくと、各駅停車になる。それもそのはず、そのあたりは単線であり、普通電車は各駅で停止しては、対向列車や特急電車が追い越すの待つのである。

普通電車を選んでいたら、文字通り日が暮れてしまい、5時には間に合わなかっただろう。

単線に入ると、窓の外の風景は山間の村の様相を呈してきた。駅も風情がでてきて、人気がなくなってきたのを心地よく感じた。

やがて、極楽橋に着き、ケーブルカーに乗り換えた。
ケーブルカーはすぐに出発した。ケーブルカーは、おそろしく急なこう配を上り始めた。

45度ぐらいあるのではないか。

10分ほど上り、高野山に到着。それからバスに乗って、一日目の宿、一乗院へとたどり着いた。

着いたのは15:20頃だと記憶している。
16時ごろ到着すると言ってあったので、予定通りだ。

路線検索通りにはいくまいと思っていたが、案外、その通りに動くことができて、日本の鉄道の時間の正確さに感謝するのであった。